2019年11月1日(金)公開の映画「マチネの終わりに」
世界的クラシックギタリスト蒔野聡史とフランスRFP通信社に所属しているジャーナリスト・小峰洋子。東京・パリ・ニューヨークを舞台に40代という繊細な年齢を迎えた2人の運命的な出会いと葛藤を通し究極の愛を描いた物語。
芥川賞作家・平野啓一郎さんのベストセラーを、17年公開映画「昼顔」の西谷弘監督・井上由美子さん脚本のコンビが映画化した作品です。
私は、原作を読破し映画を観て「映画と原作ではその後が異なるのではないか?」という感想を持ちました。この想像をした考察理由を述べたいと思います。
※文中には小説や映画のネタバレを含みます。ご注意ください!
『マチネの終わりに』
40歳を超えた成熟した美男美女が、一目で恋に落ち、パリの街で愛を告白する。
いい。すごく良い!
青春を謳歌し、生き急ぐ若い男女の恋模様もいいけれど、あぁ、こういうビターな大人のラブストーリーって久しぶりだなと懐かしい気持ちになれた。
秋風が吹く今の季節にぴったり! pic.twitter.com/lrEaTU0QeR— suzu (@nezimaki49081) November 4, 2019
目次
マチネの終わりにのラストについて
「マチネの終わり」頃とは昼間を過ぎ黄昏前のまだ明るい時刻。
仕事に芸術に燃焼し、40代で立ち止まったふたりを象徴しているのだろうか。
不器用なふたりがラストシーンまでもどかしく、燃え尽きない恋のその後を見てみたい。#マチネの終わりに感想https://t.co/KiSW0WRBk4 pic.twitter.com/NFnGPcILdb— Kate (@snow200) November 3, 2019
ラストの後の2人はどうなったんだろう?2人のその後を見てみたい。
そう強く思わせるエンディングでした。
マチネの終わりにのラストシーン
マチネの終わりにのラストシーンはいずれもニューヨーク。
コンサート終えた蒔野は、コンサート中に観客へ告げた予告通りセントラルパークへ。
「-あとで(セントラルパークの)あの池の辺りでも散歩しようと思ってます-」
そこで洋子と再会を果たします。互いに見つめ合い微笑んだ場面が物語の終わり。
運命の歯車が狂ったあの夜から、数年越しの再会でした。
原作者平野啓一郎さんの想定するラストから先の見解
原作者の平野啓一郎さんはラストから先について、インタビューで語っています。
(ラストから先がどうなるかについて)
そこは読者がそれぞれ考えたり、話し合う時間かなと(笑)。
この物語がどう続いてほしいと思うかに、
その人の恋愛観や家族観が出てくるような気がします。
ラストのその後については、読者に委ねるという形でした。
「マチネの終わりに」 すごく大人のラブストーリー。かなり切ない。10代や20代には到底演じきれない、奥行きのある仕上がり。バックに流れているギターの音色がとでも心地よく物語に幅を持たせてる。ラスト、観てる人にその先を委ねたところが憎い演出。
— ゆうちゃん (@yu_chan935) November 3, 2019
マチネの終わりにラストその後2種類の想像をした考察理由について
映画【マチネの終わり】を観に行った。
小説とまったく違った印象。
どちらがイイとは言えない。
どちらも最高!
桜井ユキさんの演技が凄い!
ラストの「幸福の硬貨」、ハーモニクスが印象的。#マチネの終わり#平野啓一郎— かるご (@carugos) November 3, 2019
映画化に際し時間の関係などもあり、原作とは異なった設定になることはよくあること。小説には小説の、映画には映画のそれぞれ魅力があり「マチネの終わりに」はそのどちらも見事でした。
このラストその後についても、私は始めに述べた通り、小説と映画で物語のその後が異なると想像しました。2種類の想像の考察理由について書いていきます。
マチネの終わりに映画のラストその後の想像
蒔野は早苗と別れ、洋子と結ばれると想像します。
マチネの終わりに原作のラストその後の想像
蒔野と洋子はソウルメイトである最愛の友人として、交流を続けると想像します。
原作と映画のラストその後が異なる想像をした考察理由
設定として小説『マチネの終わりに』と映画『マチネの終わりに』は違う話にはなるのだけど、そのどちらにも蒔野聡史と小峰洋子は存在する。どちらの世界で出逢っても、ふたりは惹かれ、踠き、愛し、生きる。蒔野さんと洋子さんの物語が新たな形で見られることが嬉しい。
#マチネの終わりに— ナオコ (@ak_Naoko) November 2, 2019
2つのその後を想像したのは、原作と映画の設定が大きく違ったためです。
特に感じたのはキーパーソン「三谷早苗」の性格の違いです。そして時代設定。
昨日初日『マチネの終わりに』観賞。
原作から勝手に膨らませてしまっていたからかな…鍵となる人物のイメージが少し違ったのと、二人の心理描写をもう少し何か…と思いましたが、ラストカットでうるっときて満足。
ゆり子さん素敵でした。
サントラお薦めです…かけるとお部屋の空気が一変します。 pic.twitter.com/hB2zmmSPCO
— maiko (@masha_viola) November 2, 2019
上のツイートの「鍵となる人物のイメージが少し違った」というのは、おそらく蒔野のマネージャーであり妻になった三谷早苗の描かれ方の違いだと思います。私も、原作で抱いた嫌悪感より随分イメージ良く(?)感じました。
早苗は、蒔野への愛情と洋子への嫉妬で2人の仲を引き裂いた張本人。2人が再会するはずだった夜、早苗が蒔野のスマホから偽りのメールを送ったことで取り返しのつかない“すれ違い”を引き起こしました。これは原作・映画とも変わらぬ設定。
早苗が犯した罪の瞬間、私も例に漏れず心の中で大激怒しました。それは卑怯過ぎると…。
この後、原作では
原作では“すれ違い”の数年後、洋子はやっとの思いで東京の蒔野のコンサートのチケットを手に入れた時、早苗がその場に居合わせ…蒔野と結婚した事実やお腹の子供のことを洋子に伝えます。さらに、話し続けることに気の進んでいない洋子を「話がある」と呼び出し「コンサートに来ないで欲しい」と切り出す。その話ぶりから早苗の罪に洋子自身が気づき、早苗が真相を告白する流れに…。
一方、映画では
一方、映画での早苗は蒔野の復帰コンサートの会場を洋子が住んでいるニューヨークに敢えてセッティングし、その際に洋子を訪ねて自ら罪を告白しています。「洋子さんにニューヨークのコンサートへ来てほしい」とも。
「罪の告白」のシーンでの早苗の描かれ方の違いは一例ですが、これだけをとっても原作と映画の早苗の違いが感じられます。
また、ニューヨークにいる早苗よりメールで起こした罪を告白された蒔野は、暗がりの中の自宅台所で行き場のない怒りに一人震える姿が描かれていました。早苗の罪に対する蒔野の激情…。これが描かれているのは蒔野の中で消すことの出来ない赦せない思いを表していると考察します。
そして、映画での早苗は蒔野がニューヨークへ旅立つ際、覚悟を決めた様子で「私は優希(娘)と一緒に実家へ帰っているから。あなたの好きなようにしてくれていい」と伝えます。それは、自分の元に帰ってきてくれる計算や余裕の発言ではなく、真に決断を蒔野へ委ねる格好でした。それは、少し蒔野を洋子の元へ還す後押しとも感じました。
映画鑑賞後『マチネの終わりに』を改めて後半から読み返したけど、三谷さんが自分から真実を告白したシーンや蒔野を家から見送るシーンなど映画でしか味わえないところがよくてもう一度映画を見たくなった
— 新留裕介 (@dome_education) November 4, 2019
この流れから、映画では蒔野は家族がいる身であっても別れて、心底愛する洋子と一緒になるという決断が出来たのではいか?と考えたのが理由です。蒔野にとっても、それをさせてしまう洋子にとっても苦渋の決断もあるけれど、それにも増してお互いを求めあった正直な思いは偽れないと。
原作よりも、映画のラストは「蒔野と洋子に」希望が残されていた様に感じました。
映画『マチネの終わりに』
いろいろ設定の変更があったのは仕方がないけれど、原作の枝葉に至るまで繊細に描かれていた部分がざっくりいかれてるのはやはり残念。
それでも主演お2人の演技が本当に素晴らしく、感情に強く訴えかけてくる。
ラストに原作よりも希望が残されていて救われた感。泣いた。— もりぱん。 (@moripan24) November 1, 2019
また、原作では2006年から2012年までを描き、映画では2012年から2019年秋を時代設定としています。この時代設定による「蒔野と早苗の結びつき」の違いもラストに大きく寄与すると考えます。
原作において、蒔野自身も早苗と結婚したのは洋子を失った代わりではなく早苗を愛していた自覚があったことに加え「2011年3月11日の東日本大震災」を経て家族に対する思いを一層強くしていました。脳梗塞で倒れた師匠からの「早苗さんを大切に」という言葉も響いていたでしょう。
ニューヨークでのコンサートが決まり洋子に連絡を取ろうか迷った時、蒔野はそれに早苗と優希との生活の中で罪悪感を抱き、とりわけ優希の生を絶対的に肯定したがっていました。
また洋子もこの頃には自分の仕事に生き甲斐を感じ、再び巡ってきた蒔野に会う機会は「気持ちの一区切りになるだろう」と捉えていました。ニューヨークでやっと聴けた蒔野の演奏は、かつて自分がイラクで毎日聴いていた音楽よりもっと明るく、もっと穏やかな、あたたかい光が注がれている変化を感じ「彼に会ってはいけない、手遅れなのだ」と悟っていました。けれど、2人は再び会うことは叶います。
この流れから、原作では蒔野と洋子は互いに再会を喜び語り合うも、その後も最愛の友人として一生涯の付き合いをしていくのではないか?と考えました。互いへの愛しい思いを抱きつつ、今のある互いの幸せを壊さぬように尊重し合う。けれどもう二度と途切れてしまわないようにお互いを大事に思いにプラトニックに育んでいくのではないでしょうか。
2回目鑑賞
もうどうしても後半が辛い
天国から一気に地獄へ突き落とされる感じ
それであのラストでは物足りないのよ
あの後2人はどうなるか
絶対に結ばれてほしいと思う
でなきゃ洋子が不憫すぎる是非マチネの終わりに第二楽章、お願いします#マチネの終わりに感想#平野啓一郎さんにお願い
— 南風 (@6rb1K6HYAUaGPzf) November 2, 2019
映画でのラストその後は「蒔野と洋子は結ばれる」だろう、というのは「こうあって欲しい」という私の願望が入っているとも思いますが・・・私はこの様に考察しました!
まとめ:蒔野と洋子その後、映画では結ばれ原作では最愛の友人と考察
・蒔野と洋子のラストその後。映画では結ばれ、原作では最愛の友人になると違った2つの未来を想像すると考察
・それは、鍵となる人物「三谷早苗」のキャラクターや時代背景など設定の違いに起因するのでは?
・映画に抱いた感想は「洋子に蒔野と結ばれて幸せになって欲しい」という読み手側の思いも反映しているかもしれない
関連/マチネの終わりに楽曲の幸福の硬貨2種類の違いは?福山雅治が演奏する曲についても
関連/マチネの終わりに公開記念特番の時間はいつ?放送内容についても
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
記事が参考になったという方はFBで「いいね!」もお願いします^^!